ロココ美術とは?その特徴を解説します。
こんにちは画家Gさんの籏山隆志です。
あなたは美術史の中の1つ、ロココ美術ってご存知ですか?
太古から続く美術史の中で様々な美術活動が生まれてきました。
新古典主義、ロマン主義、フォービズム、ダダイズム、キュビズム、シュルレアリスム
などなど、
そんな中でロココ美術ってのは、飛び抜けて優美で、華々しく輝いた美術活動です。
「美術史とか美術活動って、なんか小難しくてよく分からん!」
なんて言ってるあなたの為に、
出来るだけ分かりやすく解説しますので、是非最後までお付き合いして下さい。
ロココ美術とは?その特徴や背景を解説します。
1710年代~1760年代までの、特にフランスの美術に見られる様式です。
ピンクや小花柄などを効果的に使い描かれた美女達が非常に印象的で、
そんな女性と男性の戯れを題材にした、エロチックで官能性を帯びたところが主な特徴ですね。
当時の時代背景を映し出し、美術史の流れの中で飛び抜けて優美で華々しい時代であって、
絵画のみならず、建築、インテリアなどにもロココ美術は広がっていきます。
ヴェルサイユ宮殿の完成に伴い、ルイ14世が文化面を整い始め、貴族文化が隆盛して行くんですな。
ロココの時代の幕開けとなったのは1715年、太陽王ルイ14世の死去であり、
それとともにバロック美術と言われる建築、庭園、美術などで絶対王権を誉め称えるような豪壮華麗な文化に対する反動として、
繊細で優美、曲線を多用した表現を特徴とする新しい様式が次のルイ15世の宮廷で起こってきます。
その立役者は、ルイ15世の愛妾、後世に名を残すポンパドール夫人(1721年~1764年)で、
彼女が主催したサロンから、ロココ美術は広がって行きます。
ロココ美術はデュ・バリー夫人(1743年~1793年)の時代まで続いたんですが、
ルイ16世(在位1774年~1792年)が即位した辺で終わりを告げ、装飾を抑え直線と均衡を重んじる新古典主義様式(ルイ16世様式)に徐々に取って代わられました。
なぜかと言うと、
・対外戦争などで、王政は財政難に見舞われ、財政政策を見直す必要に見舞われた。
・印刷機の普及により、人間の理性と知性を主眼とした※啓蒙思想が広がりを見せ、※王政(アンシャン・レジーム)への不満が募っていった。
※啓蒙
と言う原語は「明るく照らす」という意味で、
理性や科学についての知識を持たない無知蒙昧な人々を無知から開放してあげようという運動が啓蒙主義、啓蒙思想と言われたものである。
※王政(アンシャン・レジーム)
は16世紀から18世紀のフランスの政治体制の名で、革命がおきる前の、絶対王政期の政治体制を言う。
・これまでの神を中心とした考え方に対して疑問が生まれ「考え方革新」が起きていき、これまでの旧体制を打ち破るような動きが出てきた。
ロココ美術ってのは、フランスが19世紀という産業革命の世紀に向かう前の、
「宮廷、貴族文化」における美術様式であって、激動を前にした「束の間の、優雅で、一握りの人達のための芸術」だったと言えますね。
ですが、ロココ感たっぷりな美意識、雰囲気は1789年のフランス革命まで続きました。
ロココは宮廷文化と密接に結びついていたため、フランス革命という市民革命によりロココ美術、様式自体が、激しい非難の的になり、
特に19世紀に興った新古典主義の時代にルイ15世時代の軟弱な文化という蔑称(べっしょう)として使われ始めたんですが、
現代では繊細、優美だけではなく、
※軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)、
※自由奔放(じゆうほんぽう)、
親しみやすい日常性と感覚性という新しさが評価されてるんですね。
※軽妙洒脱
軽やかで洒落(しゃれ)ていること、俗っぽく無く爽(さわ)やかで洗練されていて巧みなこと。
※自由奔放
他を気にかけず、自分の思うように振る舞うこと。
では次の章で、ロココ美術時代に活躍した主だった画家を解説します。
ロココ美術とは?活躍した画家を解説します。
ロココ美術を代表する画家を3人(いっぱいおって、誰を代表にして良いか選ぶのがムズい!)独断で紹介します。
ジャン・オノレ・フラゴナール
フラゴナールの絵の特徴は、
自由奔放な想像力と高い技術力によって、自然を舞台とした自由な恋愛情景や、生き生きとした肖像画を得意とした所です。
ロココ期の絵画は※耽美的(たんびてき)な表現が好まれましたが、
フラゴナールはそのような主題でも品のある伸びやかな絵画に仕上げることができ、そんなとこが人気を博しました。
※耽美的(たんびてき)
論理や道徳と言ったものから外れていても、美を追求したものになっていることを表現するときに使う。
作家ヴォルフ・フォン・ニーベルシュッツは、
「フランソワ(ブーシェ)が描くと嫌らしくなって、淫らんなる題材でも、ジャン(フラゴナール)の手に懸かると芸術んなって、自然の※流露(りゅうろ、あらは)になって、精神的優雅の限界にまで達するもんになっちゃうんだなこれが!」
※流露
気持ちなんかが外に現れ出ること。
てなことを言ってます。
↑「ぶらんこ」
なんと言っても最も有名なのは上記の
「ぶらんこ」でしょう。
ロココ絵画と言ったらこのフラゴナールの「ぶらんこ」というぐらい有名な絵で、
正式なタイトルは「ぶらんこの思いがけない巡り合わせ」といいます。
そこのあなたも美術の教科書かなんかで一度は目にしたことが有りませんか?
この絵はこう読み解きます。
ド直球に行きます!
男が目を見開いてバラの茂みの中から愛人のスカートの中を覗いている絵です。
画面中央のピンクのドレスに身を包んだ女性は左下に見える男爵の愛人で、
スカートの中を見せるようにドレスを蹴り上げ、
その反動でピンクのミュール(女性用のサンダルの一種)が飛んでいきます。
ここでの脱ぎやすい靴は尻軽の象徴を表してます。(今で言う所のビッチ?)
左側のキューピットは、人差し指で「し~」のポーズで、秘密だよってことです。(秘め事の象徴)
下に見える二人のキューピットは、
これからどうなるんだろうって感じで一人は不安な面持ちで愛人を見上げ、
もう一人は険しい顔して目を逸してます。
愛人である男爵はバラの茂みに隠れており、
バラの花はヴィーナスの花とも呼ばれ”女性”を表します。
右側に見える、ことさら影が薄い夫の側に犬が描かれています。
犬は貞節を象徴しますが、ここではその犬が吠えているようなので、
「はあっ!?貞節?貞操観念?何それ!?食べると美味しいものなのかしら?!ホホホホホッ!」
てな感じでどこ吹く風、全く守られて無いってことですね。
このやばい感じの男は、
この絵の依頼主で放蕩(ほうとう)で悪名を轟(とどろ)かしていたサン・ジュリアン男爵で、自分の愛人の肖像画なんですが設定されていたリクエストが、
「司教様に押されてブランコに座ってる御婦人を描いておくんなまし、でもってその可愛い子の足が見える場所に私を描いておくれな」
と、まあなんつー罰当たりなリクエストなんだか!
いっくら何でもこの当時、聖職者は貴族と並んでもう一つの特権階級だったわけで、
「んな主(イエス・キリスト)の教えに背く不貞な行いを大っぴらに描けるかーっっっ!」
ってフラゴナールが言ったかどうか知りませんが、
そんなもん堂々と描いて大炎上でもしようもんならあなた、
失職どころか下手したらギロチンの露と消えちまいますがな。
コワイ、コワイ、コワイ!
だもんだから生真面目なフラゴナール君、当時35歳は、
司教様を彼女の夫に描き変えたんですね。
しかも最初は、あろうことか司教様は彼女の背中を押してる構図だったとか・・・
おいおい、聖職者の身に有りながら不倫を勧める司教の図ってぜーったいダメなパターンでしょうが。
なので件(くだん)の年老いた夫くんによって綱で持って彼女を引き止める図に変えたそーな。
そんなこんなして頭かきむしって、
「ああーっ、もーっ、どないしたらえーねん?!」
ってな具合に苦慮して描き上げた結果!
ものの見事に大成功!!
この絵は貴族階級に大ウケしました。
この作品のおかげで、フラゴナールは当世を代表する超売れっ子画家として、
たっくさんのオーダーが舞い込むようになったんですね。
この絵の中でヒロイン的な役割な女性はあっけらかんとして、全く性の匂いがしません。
例えば当時、
妻とその愛人が事に及んででいる真っ最中にうっかり部屋に踏み込んでしまって、
「ああっ!おめーら何やってんねん!?」
って、怒り狂ってその間男に決闘を申し込むなんてのは無粋でカッコ悪いとされ、
「おおっ、これは大変失礼を致しました!」
と言いながら、慇懃(いんぎん)にお辞儀をし、
なーんも無かったような顔してその場をに立ち去るのが粋な紳士の振る舞いだとされてたんですね。
一見すると軽薄にも倒錯しているみたいにも感じますが、
自由な恋愛を楽しむ当時の風潮を表してます。
妻の浮気を夫が黙認するような性に対して奔放な時代だったんです。
一歩間違ったら修羅場な地獄絵図になりそうな場面を、
フラゴナールの持つ開放的な世界観と高度な技術によってとても上品で可愛らしい作品に仕上がってます。
そこのあなたはどう感じますか?
そんな貴族の寵愛を受け、その優雅な暮らしぶりを華やかに描いたフラゴナールでしたが、
1789年フランス革命によって激変しました。
「新古典主義」や「ロマン主義」が台頭して来る中、存在感が急下降してしまい、
最後は極貧に打ちのめされるまま亡くなります。
↑「読書をする娘」
モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール
ラトゥールの作品の特徴は、
画風が全く違う「昼の画家」と「夜の画家」の2つの系統にわかれます。
「昼の画家」の作品は、対象を写実的に描いた風俗画で、
「夜の画家」の作品は、聖書を題材にしたものが有り、
夜の情景を描いたものが多く、これらの作品は画面の殆どの部分を闇が占めています。
人物を照らす光はロウソク、松明(たいまつ)等の一方向からの光源からによるもので、「明」「暗」のドラマチックな対照が見られます。
人物等の形態は平面化、単純化されて、モチーフはギリギリまで切り詰められてますが、
静謐(せいひつ)さと深い精神性、更に宗教的感情をもって厳かに描かれてます。
が、このラトゥールと言う画家、数百年間もその存在を忘れられてたんですね。
1600年代にフランス国王付画家の称号を得ていたにも係わらず没後は文献にその名を残すだけで、
実在していなかったのでは?と疑われていた時期もありました。
なんでそんな事になったかって言うと、
・ラトゥールの時代は画家は芸術家というよりは職人として扱われていたため、後に貴族となった子孫がその存在をあえて隠した。
・ラトゥールの人間性が飛び抜けて※傲慢(ごうまん)、※吝嗇(りんしょく)だったので彼を憎み、反感をもつ人達があえて隠した。
※傲慢・偉そうにふんぞり返って人を侮り、見下す態度。
※吝嗇・極度に物惜しみすること。ケチ。
・急に病死し(その当時ヨーロッパで大流行していたペスト)、その後次々に家族や弟子達が亡くなってしまったために作品リストを作る人が残らなかった。
などなど、いろーんな説が飛び交ってますが、今となっちゃー深層はラトゥールの作品の如く闇ん中ですがな。
1900年代に入り、ある美術研究家が長年作者不詳だとされていた絵がラトゥールのものだと発表し、
次々とラトゥールの作品が見つかります。
が、酷いものだとパリの骨董品(こっとうひん)店の棚から埃だらけになって、
放ったらかしになっていた作品が出てきたことさえありました。
ラトゥールの作品の特徴の1つにレパートリーが狭いのが挙げられます。
同じテーマ、同じ構図の作品が複数存在する例が多々あり、
「悔い改めるマグダラのマリア」は少なくとも3点、
「いかさま師」は全く同じ構図の絵が2点あります。
これは、ラトゥール自身が複数同じ作品を描いただけではなくて、
息子のエティエンヌの作品が含まれているんじゃないかと言う説もあるんですね。
↑「いかさま師ハートのエースを持った」
↑「常夜灯のあるマグダラのマリア」
上記「常夜灯のあるマグダラのマリア」は、
見る人を一瞬にして静寂なる世界に入り込ませる、幻想的な魅力を感じます。
一見すると暗闇に炎、膝の上にガイコツって組み合わせは、
ある意味すっげーコワイ絵に感じますが、この絵は「イエス・キリストと出会い、悔悛するマグダラのマリア」を表現した宗教画です。
この絵を見てあなたはどう感かんじますか?
暗闇、ドクロに対する恐怖を感じますか?
マグダラのマリアなる人物がどんな人か知りませんが、
宗教画に対する知識なんぞ無くても、この絵は鳥肌が立つほど美しい絵だと感じます。
何事も無い静かな夜の暗がりに、ロウソクの儚(はかない)い灯りを灯して物思いに耽る女性、
誰もが持つ他人に見せない(それが自分の妻、夫や家族であっても)夜の一面を描いた、すっげー身近な切ない情景が描かれたもので、
普段の喧騒に紛れ忘れがちな、自己の内面と向き合う「時」の重要さを思い起こさせる作品です。
フランソワ・ブーシェ
ブーシェは当時非常に高い評価を受けていた画家でしたが「磁器の頭」なんて言われた人工的な人物像は度々批判に晒されました。
↑「マリー・ルイーズ・オミュルフィ」
上記の「マリー・ルイーズ・オミュルフィ」は、
ああっ!女神さまっ!みたいなぜーったい手が届かん天上界の美じゃなく、
小悪魔的な少女の挑発的なポーズで、エロチックに描き上げてます。
こんな風に、人物画においての肌の透明感やバラ色に輝くような美しい肌の描写なんぞは抜きん出ていて他の画家では真似出来ない技術を持ってました。
この描写力は裸婦を描いた絵で遺憾なくハッキされてます。
↑「狩から帰るディアナ」
その下「狩から帰るディアナ」は、
紛うことなき女神さまっ!ローマ神話の処女神ディアナです。
月と貞節、狩猟の女神で、非常に頑強で気性の激しい性格なんですが、ブーシェが描いたディアナにはそんな荒々しいところは全く見られません。
ブーシェが描く裸の女性は、服こそ着てませんが、愛、喜び、熱情をまとっている様に見えます。
ブーシェは神話に登場する女神たちを、神である前に一人の若い女性として表現したんですね。
先のディアナもひたすら優美な女性として、その心身に汚れ無く清らかであることを強調して描かれてます。
では今回のまとめとして、
ロココ美術とは?
あとがき
・主な特徴と背景
1710年代~1760年代までの、特にフランスの美術に見られる様式です。
ピンクや小花柄などを効果的に使い描かれた美女達が非常に印象的で、エロチックで官能性を帯びたところが主な特徴です。
当時の時代背景を映し出し、美術史の流れの中で飛び抜けて優美で華々しい時代であり、絵画のみならず、建築、インテリアなどにもロココ美術は広がっていきます。
ロココ美術は、フランスが19世紀という産業革命の世紀に向かう前の、「宮廷、貴族文化」における美術様式。
激動を前にした「束の間の、優雅で、一握りの人達のための芸術」だったと言えますね。
・活躍した主な画家
ジャン・オノレ・フラゴナール
自由奔放な想像力と高い技術力によって、自然を舞台とした自由な恋愛情景や、生き生きとした肖像画を得意としました。
モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール
画風が全く違う「昼の画家」と「夜の画家」の2つの系統にわかれます。
ラトゥールは数百年間もその存在を忘れられており、1600年代にフランス国王付画家の称号を得ていたにも係わらず没後は文献にその名を残すだけです。
実在していなかったのではと疑われていた時期もありました。
フランソワ・ブーシェ
当時非常に高い評価を受けていた画家でしたが、「磁器の頭」なんて言われた人工的な人物像は度々批判に晒されました。
ですが、人物画においての肌の透明感やバラ色に輝くような美しい肌の描写は抜きん出ていて他の画家では真似出来ない技術を持っています。
この描写力は裸婦を描いた絵で遺憾なくハッキされてます。
優美で繊細、エロチックでちょーっとヤリ過ぎ装飾な感じがするロココ美術。
「ふん!ロココなんて、ぺぺぺぺぺっっっ!」
とか、
「はあっ!?ロココだと?バカじゃね?アホじゃね?軽薄で見る価値なんもねーよ!」
みたいに、蔑(さげす)まれたり、激しい非難の的んなったりしましたが、んなもんはただのやっかみでしょ。
絵画、建築、インテリア、どれをとっても非常に美しいです。
確かにナヨってて、言うなればオネェなスタイル?美しくあろうとして何が悪いっちゅうねん的な感じ!?
ですが今では、軽妙洒脱、自由奔放、親しみやすい日常性と感覚性という新しさが評価されてるってのがよく分かります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
ではまた、別のところでお会いしましょう。