こんにちは画家Gさんの籏山隆志です。
普段私はアクリル絵の具を使ってポップでマンガチックな絵を描いてます。
あなたはロマン主義ってご存知ですか?
美術史の中でいろーんな芸術活動が生まれました。
新古典主義、ロココ様式、フォービズム、シュルレアリスムなどですね。
ロマン主義は美術史の中で特に「個」を意識した芸術活動です。
「いや~、美術活動の解説って専門用語やら小難しい言葉が多くて分かりにくいんだよね」
なーんて言ってるそこのあなた、
そこんトコロを出っ来るだけ分かりやすーく解説して行きます。
どうか最後までお付き合いしておくんなまし。
↓初の電子書籍出版です。ぜひ、読み放題でどうぞ。
【ロマン主義って何だ?】
どんな芸術活動だったのか、分かりやすく解説します。
ロマン主義ってのは18世紀末~19世紀前半に西洋で興った芸術活動です。
この時代のヨーロッパってフランス革命とかナポレオン戦争でメッチャ混乱したんですね。
戦争、圧政によって踏んだり蹴ったり状態の人々は、
「だーっっっ!もうクッソやってらんねーよ!」
てな感じで自由を求め、
戦争に対する絶望や虚無感から人々の頭ン中は個人の内面へと向けられる事になります。
つまり社会的抑圧に対する反発ね。
ここいら辺はダダイズムが生まれてきたのと同じプロセスです。
理性とか合理性を重んじる古典主義、合理主義に反抗し、
・感情
・個性
・自由を尊重
・自然との一体感
・神秘的な体験
・ムダだと思えるものに対して憧れ
などを表現しました。
これは美術だけじゃなくて文芸、音楽、演劇など、いろーんな分野におよんだんですね。
でもってロマン主義の目指すもんは個人の自由なんで、
体制やら権威なんつーもんはロマン主義にとっちゃー天敵に等しいもんです。
んな訳でロマン主義ってのは反体制、反権威、反アカデミズムっす。
ま、とーぜんっていやーとーぜんなんですが、
アカデミーを牛耳ってた教条的でなおかつ押し付けがましい新古典主義の連中とちっからいっぱい対立することになります。
ただロマン主義の表現ってのは、新古典主義やロココ様式みたいに特定のスタイルを示すんじゃなく世代間に共有された考え方とか感じ方なんで
「このスタイルがロマン主義じゃーっ」
みたいなもんはありません。
要はスタイルなんぞは気にせんで
・個人の独自性
・自我の欲求
・個人の主観
などの「個」を重視、叙情的、感情的な表現を重んじたんですね。
次の章で、そんなロマン主義に参加していた画家を紹介していきます。
【ロマン主義って何だ?】
どんな芸術活動だったのか、分かりやすく解説します。
参加していた主な画家
・ウジェーヌ・ドラクロワ



↑「キオス島の虐殺」
ドラクロワは正規の美術教育ではなくルーブル美術館で過去の巨匠たちの作品を模写することで腕を磨いた画家です。
更にドラクロワはシェイクスピア、ゲーテ、ダンテと言った文学者達の作品からインスピレーションを受け、
どえりゃー強烈な色彩と流動的な構図によって重層的な画面をキャンバスに描き出し、
黒色が主体となった陰影に富む画面、
時には醜悪とも言える人物の造形などが特徴で、
「うおっと!」とドン引きしそうな暴力的な表現や、
思わず「うえっへっへっへっ」なーんて鼻の下が伸びるエロチックな表現でロマン主義を主張し超保守的な美術界を騒然とさせました。
宗教画、風俗画、風景や裸婦などの多種多様なモチーフをドラマチックにかつダイナミックに描き上げるドラクロワ自身の世界観は絵画表現の可能性を広げ、
そんな風に色彩とか想像力とか人の感性に訴える手法は印象派と呼ばれる画家達にヒッジョーに大きな影響を与えたんですね。
んで、当のドラクロワは、
「はぁっ?道理をわきまえた絵だと?!
んなもんクッソ面白くもないから描かないよ!」
なんて事を言ってます。
その当時の美術界の主流って神話画とか宗教画を己の理想として表現してました。
だもんだからそれらの表現を重んじる新古典主義の連中と、とーっても激しく対立しました。
そん中で特に有名なのが、
新古典主義の旗手ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルとの侃侃諤諤(カンカンガクガク)喧喧囂囂(ケンケンゴウゴウ)な対立が極まってきます。
アングルは1824年に「ルイ13世の誓願(せいがん)」っていう作品をパリのサロンに出品したんですね。

↑「ルイ13世の誓願」
が、この年のサロンに新古典派の天敵、ロマン派のドラクロワが「キオス島の虐殺」を出品してました。(上記)
この作品は1822年にギリシャにあるキオス島で起きたギリシャ独立の武装蜂起とトルコ軍による住民虐殺を描いたものです。
新古典主義のアングルは超古典的な調和の世界を「ルイ13世の誓願」で描いてますが、
ドラクロワは「キオス島の虐殺」で調和な世界の真逆にある暴力、残虐を描いてます。
お互いに天敵である新古典派とロマン派が肩を並べた歴史的瞬間です。
見ての通りアングルの「ルイ13世の誓願」はお上品で品行方正、清く正しく美しくを地で行く、
まるで教科書みたいな絵ですが、これはこれでサスガは歴史に残る名画といった感があります。
なんつってもこのアングルの作品はこのとき絶賛の嵐でした。
ひるがえってドラクロワの「キオス島の虐殺」はどうだったかっつーと、
「なんじゃーこりゃ?キオス島の虐殺じゃなくて、絵画の虐殺じゃーっっっ!」
とか、
「おいおい!ドラクロワっつーヤローはここパリを絵でもって焼き尽くしかねん、とんでもヤローだ!」
なんてありとあらゆる非難ゴーゴーだったんですね。
なんだかんだ言ってもまだこの時点では新古典主義の勢いは全く衰えていなかったんですな。
あなたは2つの絵を見てどう感じますか?
・ウイリアム・ターナー



ターナーの絵の特徴は、油彩なんだけど水彩画の技法を使ってコントラスト、滑らかさで情景の空気感を表現してます。
ターナーがその生涯をかけて貫いたのは光と水が織り成す世界観で、
人と自然がぶつかり合うさまをドラマチックにかつダイナミックに描き上げるのを心情にしてました。
古典的な絵から戦争画や吹雪、嵐と言った自然の猛威などの風景画、更に素描、スケッチなど約2万点にも及ぶ作品を残してます。
ですがあんまり良い環境で保存されてなかったのとターナーの作風だと、
「どれが完成品でどれが描きかけなのかよっく分かんねーっ!?」
なーんてオチがあったりしました。
・カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ



フリードリヒの絵は宗教画みたいな風景画が特徴で気高く偉大であり、神々しい感じをも備えてます。
見るものに大自然の中では人間なぞ本当にちっぽけな存在なんだと感じさせてくれます。
その一方で孤独や静寂を感じさせてもくれますが、これには理由があります。
フリードリヒは10人兄弟の大家族で
7才の時母親を亡くし、
その翌年に姉エリザベスを亡くし
1787年13才の時、末っ子ジョン・クリストファーが湖の氷の割れ目に落ちて命を落としました。
そんときフリードリヒは弟と一緒にいて助けようとしたんですが助ける事が出来ませんでした。
その一件からフリードリヒは己を攻め続け、はてにうつ病を患い自殺未遂を起こしてます。
更に追い打ちをかけるように17才の時もうひとりの姉マリアもチフスで亡くしました。
こんな風に多感な時期の身近な人達の死がフリードリヒの死の静寂を思わせる作品に現れているんですね。
では今回のまとめとして、
【ロマン主義って何だ?】
どんな芸術活動だったのか、分かりやすく解説します。
まとめ
ロマン主義とは18世紀末~19世紀前半に西洋で興った芸術活動です。
この時代のヨーロッパはフランス革命とかナポレオン戦争で非常に大きく混乱しており、
戦争、圧政によって散々にボコられた人々は自由を求め戦争に対する虚無感から人々の思考は個人の内面へと向けられる事になります。
・個人の独自性
・自我の欲求
・個人の主観
などです。
ロマン主義の目指すものは個人の自由であり、体制やら権威などはロマン主義ストにとっては天敵に等しいものであった。
ロマン主義は反体制、反権威、反アカデミズムであるので、
アカデミーを牛耳ってた教条的でなおかつ押し付けがましい新古典主義の連中と激しく対立することになります。
参加していた画家
・ウジェーヌ・ドラクロワ
・ウイリアム・ターナー
・カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
などなど。
いかがでしたか、個人の自由など人々の「個」を渇望する中から生まれたロマン主義。
「美術活動の解説って、専門用語やら難しい言葉が多くてよく分からんかったけど、あんたの記事ですこーし分かった」
なーんて言って頂けたら喜びです。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
ではまた、別の所でお会いしましょう。