古くて新しい「新古典主義」って何?
どんな活動だったのか分かりやすく解説。
こんにちは画家Gさんの籏山隆志です。
普段私はアクリル絵の具を使ってポップで漫画チックな絵を描いてます。
あなたは新古典主義ってご存知ですか?
長い美術史の中で様々な芸術活動が生まれました。
ロマン主義、ダダイズム、キュビズム、シュルレアリスムなどなど。
新古典主義てのは、古代遺跡の発掘から当時の考古学の研究成果に基づいて興った芸術活動なんんだけど、
「いや、あの・・・、美術とか芸術の解説って小難しくてよく分からんがね?」
なーんて言ってるそこのあなた、そこんトコロを出来るだけ分かりやすーく解説して行きます。
どうか最後までお付き合いして下さい。
新古典主義って何?
古くて新しい活動の背景について解説します。
新古典主義ってのは18世紀中頃から19世紀のはじめに、ロココ様式のあとヨーロッパで主流になった芸術活動でその範囲は絵画だけじゃなくて建築、彫刻にまで及びます。
なんと言ってもそれまでのロココ様式があまりにも甘美過ぎ、大げさで過剰な装飾で、
絵画なんかの題材がチョー貴族主義的、不真面目、不健全、堕落の極みと散々に皮肉られてます。
新しいのに古い?古いのに新しい?
なんか変な表現ですが、
主だった特徴はギリシャ、ローマなどの古典芸術を規準とし、
調和とか統一性、写実性を重視した重々しくリッパで見事な形式美です。
古代芸術に対する漠然とした憧れじゃなく、
当時の考古学の研究成果に基づき、
「古代ギリシャやローマの形式と気高くリッパでケガレの無い精神を規準とする」
ってーのを見習うべき手本としたんですね。
えっ?よけーに分からんよーになった!って。
要するに古代ギリシャ、ローマさんの立ち居振る舞いやその心の在り方を見習おーぜってことね。
そういった成り立ちから新古典主義(ネオクラシズム)と呼ばれてます。
では次の章で新古典主義の興(おこ)りについて解説します。
新古典主義って何?
どうやって興(おこ)ったのか解説します。
まず1つ目は、
古代遺跡の発掘によるギリシャへの憧れです。
1738年、古代都市ヘルクラネウム、
1748年、ポンペイの古代遺跡の発掘によるギリシャへの憧れから興(おき)ました。
両遺跡からは現在までに様々な建物、壁画が発掘されていて、
ドイツの美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンなる人物が、
1755年、「ギリシャ美術模倣論」を
1764年、「古代美術史」を出版し、
ヴィンケルマンは、
「ローマ人ってギリシャを真似しただけじゃないか!
古代ギリシャこそ模範とするべき、高貴なる簡素さと静寂なる偉大さを備えてるんだよ。
美術の目的ってのは、そんなこんなをフッカーつ!させるためにあるんだよ」
みたいな事を説きました。
こんな風にギリシャ遺跡の発掘によって古代の文化、文明に対して感心し褒(ほ)め称(たた)え、憧(あこが)れを引き起こしたんですね。
このヴィンケルマンの考え方は新古典主義の理論的柱になってます。
2つ目は、
ロココ様式に対する倦怠(けんたい)と反感ですね。
ロココ様式ってのは、
ルイ15世と初期ルイ16世ん時のスタイルとデザインで、
ルイ15世とその周りにはべらせた女性達が好んだものです。
・ハデハデで華やか
・快楽のみを追求した
・官能的、肉感的で性的感覚をそそる!
男目線で言えば、
「おおーっ!デッカイおおぱいがっ!!」
「うひょーっっっ!まあるいおケツがっ!!」
的な感覚ですな。
更に言えばロココ様式は、
・曲線的
・繊細、優美
・華やかな主題と明るい色彩
ではあるけど、
・ヤリ過ぎ感タップリな装飾
言葉は悪いですが、ゴテゴテ、ギラギラ、ケバケバしいっていうスタイルです。
ところが、18世紀半ばになるとそんなロココ様式に対して、
「おいおい!考え、行動が軽っ過ぎだろ!」
「ああっ!もうっ!マッタク!!落ち着きがねーっ、浮っついてる!」
な~んて感じで、軽蔑し攻撃する人達が現れたんですね。
そんなアンチロココの筆頭が、
哲学者であり美術研究家であるドゥニ・ディドロその人でありんす。
近代芸術の批評家でもあるディドロは1725年に始まったパリのサロン批評をも展開しています。
サロンて言うのはルーブル宮殿の大サロン(ここで言うサロンは応接間)で開催された芸術アカデミーが主催したサロン・ド・パリ(官展)のことで、
この時のディドロの「サロン評」は美術評論の始まりでもあり、
1759年~1781年まで書いてます。
そんなロココ様式をディドロは、
「上っ面ばっか飾り立てて中身は空っぽ!こんなものはダンコ滅ぶべしっっっ!!!」
みたいな事言って激しく嫌悪し徹底的に攻撃してます。
3つ目は、
フランス革命による王制の崩壊とナポレオンの台頭です。
ロココ様式の最盛期はルイ15世がフランスを治めてました。
彼が亡き後に最後の王、
ルイ16世が王位に付きますが、
1789年にフランス革命の火蓋が切って落とされ、
1792年に王権を失います。
翌1793年に処刑され、ロココ様式も終わりを迎えます。
そのロココ様式に取って代わったのが、
古代ギリシャやローマを手本とせいやって言う新古典主義です。
そんなフランス革命の混乱に乗じてなのか、どさくさに紛れてなのか分かりませんが、
若干16才で砲兵士官になったのがナポレオン・ボナパルトです。
1804年、ナポレオン1世として皇帝に即位した後ヨーロッパに強大な帝国を作り上げます。
この辺をナポレオンの第一帝政時代って言われており、そっから名前を取って帝政様式と呼ばれてました。
帝政様式はロココ様式と比較すると
・大げさでは無い
・落ち着きがある
・直線的でシンプルなデザイン
・英雄主義的な表現が強い
で、要するにロココ様式とは真逆ってことね。
最初に興った新古典主義は第一次新古典主義でこの帝政様式の時を第二次新古典主義だと言われてます。
では次の章で新古典主義に参加していた主な画家を紹介していきます。
新古典主義って何?
参加していた画家
ジャック・ルイ・ダヴィッド
↑『サン=ベルナール峠を超えるボナパルト』
新古典主義の確立者、革命家、政治家でもあります。
ダヴィッドの絵の特徴は、
・一切の手抜き、手加減なしでキレッキレな構図と構成
・正に職人芸的な写術的描写
・飛んだり跳ねたり躍動感のような動きの少ない安定した場面展開
・静かで安らか、更に鮮やかで輝くような光の表現
です。
元々、歴史画とか神話画ってのは画家の想像で描かれたもので、
画家がその場面に立ち会った訳ないんで当たり前っていや当たり前です。
も1つ肖像画ってのは、ご本人さんをモデルにして描いたもので、
本人生きてんだからこれも当たり前っていや当たり前です。
ダヴィッドはそんな肖像画と歴史画をミックスして、そん時の人物の肖像画を歴史画みたいにして自分の理想とする場面に描き入れたんですね。
多分そこのあなたも見たことある『サン=ベルナールを超えるボナパルト』(上記)って作品もそーなんです。
この作品は、
「火のような馬に乗った、落ち着き払った姿を描いておくれな!」
って言うナポレオンからの依頼で描かれた作品です。
当時の絶対的な権力者であるナポレオンの政治的な宣伝活動の一貫に乗っかったんですな。
いわゆる政治ポスターと言ったとこですか?
下の絵は実際にナポレオンがアルプス超えの時の様子で、
乗ってるのは白馬じゃなくてラバです。
しかも上の絵みたいな服装とは程遠い防寒服にガッツリ身を包んでます。
そりゃあなた、アルプスってのは標高4810メートルもあるんだから上の絵みたいな服装してたら凍えちまいますがな。
一方で、
「ダヴィッドの絵はやたら演出過剰で信用でけん!ラバに乗ったガッツリ正確な絵、描いてんかーっ!」
てなことを、ナポレオン大好き、山のようなコレクションをお持ちの第3代オンズロー伯爵アーサー・ジョージは画家ポール・ドラローシュに依頼してます。
下の絵は決してナポレオンを皮肉った訳ではなく、ドラローシュはナポレオンの事を非常に尊敬していて、
「たとえ現実どうりに描いたってダヴィッドの絵の価値を下げるもんじゃないし、皇帝陛下の業績に泥を塗るもんじゃ決して無い!」
みたいな事を言ってます。
↑『アルプスを超えるボナパルト』
ドミニク・アングル
フランスの画家で、19世紀に代頭してきたロマン主義の代表格ドラクロワらと真っ向から対立したのがアングルです。
ジャック・ルイ・ダヴィッドから新古典主義を受け継ぎ、ナポレオンの失脚に伴ってダヴィッドも失脚して亡命した後、古典主義的な絵画様式を守り新古典主義の指導者として位置づけられてます。
アングルの絵の特徴は、
・厳格な古典主義に乗っ取り、極めて高度で明確な輪郭線での表現を基本的な軸としている
・ハッキリ・クッキリと形が描かれている
・清く正しく美しくを絵に描いたような絵(なんじゃそりゃ?)
・更に正確無比な肉付けによってまるで彫像の様に描かれた人体
・筆跡を一切残さない陶磁器みたいに滑らかな人肌表現
です。
アングルは、
「絵ってのはタマネギの皮みたいに滑らかでなきゃダメなんだ。美しい形ってのは丸みを帯びた簡潔な形の事なんだよ」
「絵の至高の価値は構図と線の構造にこそあって、色彩よりデッサンが重要なんだ」
「絵っていうのは現実世界のいち場面を切り取ることじゃあ無いんだよ。永遠不動の世界、理想とする美を創ることなんだ」
って事を言ってます。
アングルは、芸術的な美や純粋無垢な美を追い続けました。
その結果アングルが描く絵は時間が停止し凍りついたような冷たい印象を受ける事さえあります。
更に解剖学的な正しさや遠近法さえカン無視してます。
アンゲリカ・カウフマン
↑「音楽と絵画の女神の間で躊躇する芸術家」
18世紀にもっとも人気のあったスイス出身でオーストリア人の女流画家で、
カウフマンの絵の特徴は、
アングル同様、古典技法を基礎にして自身の繊細な画風を更に発展させました。
カウフマンは絵画のみならず、挿し絵、陶磁器、室内装飾にも類まれな才能を発揮し、
知性とマナーを兼ね備え、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語を流暢にはなし、
更に更に、チェンバロを弾きこなして、歌を歌えばプロ級というウルトラ級の才女なんですね。
そんな才能あふれるカウフマンですが、彼女の作品群の中には彼女の野心満々のところや苦悩、迷いなどが見て取れます。
画家のヨハン・ハインリッヒ・フュースリーが、
「カウフマンの絵に描かれた、彼女のヒロインは、彼女自身なんだ!」
と言うように見て取った、彼女の絵は物語絵画で、
美術の世界で確固たる地位を得ようとする女性達の闘争を絵画表現でガッツリ物語っています。
カウフマンは主に歴史画家なんですが、18世紀の女性アーティストにしては非常に珍しい呼び名なんですね。
何でかって言うと、
歴史画ってアカデミックアート
(アカデミーってのは、学芸に関する指導者的、権威者団体ね)
の理論でとーっても厳しく定義されおり最も高い位置に分類されててその主題は、
・歴史
・神話
・文学
・聖書
のテーマに基づいた人間の行動の表現なんですが、
これを表現するには聖書とか古典文学のメッチャクチャひろーい範囲を学習しなければならないのと、
芸術理論の知識とか男性の裸体からの解剖学の研究に加えて実践的な訓練が必須となります。
ところがこの時代、日本で言うところの男尊女卑(だんそんじょひ)的な考えからか、
ほとんどの女性はそういった研究とか訓練への参加が許されなかったんですね。
ただカウフマンは歴史画家としての立ち位置を確立するために、必要なスキルを獲得するために、
そんな了見の狭い考えなんざまっぴらゴメンと言わんばかりにぶっ壊し、ひたすら努力し尽力しました。
そのかいがあって同僚からは称賛され、常連となってた顧客からは更に絵を熱望されるようになって
、
歴史画家とし非常に高い評判を築いて、性別の境界すら超えてみせました。
言うなれば、闘いと苦悩の絵画の女神さまっ!かな?
それでは今回のまとめとして、
新古典主義って何?
まとめ
新古典主義とは18世紀中頃から19世紀のはじめに興った芸術活動で、
ロココ様式の後ヨーロッパで主流となりその範囲は絵画、建築、彫刻にまで及びます。
その興りは、
①古代遺跡発掘によるギリシャへの憧れ
②ロココ様式に対する倦怠、反感
③フランス革命による王制崩壊とナポレオンの台頭
です。
新古典主義に参加していた主な画家
・ジャック・ルイ・ダヴィッド
・ドミニク・アングル
・アンゲリカ・カウフマン
etc.
新しいのに古い?古いのに新しい?なんだか変な表現に思われる新古典主義。
要約すれば過去に何個かあった古典主義の最初っから最後まで途中ブレる事なく芯が通ってるところの古典、古代の新たなる復興です。
「美術とか芸術の解説って小難しくてよく分からんかったけど、この記事で少し分かった」
なーんて言って頂けたら幸いです。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
ではまた別の所でお会いしましょう。